私か手にしたとき、決して重くはないが、その確かな重量感に、言葉につくせないほどの深い感慨が胸にひろがってきたものだった。

私か生まれたのは墨田区の東駒形というところでしたが、その後、兄が独立して開いたお店のある江戸川区小岩に住むようになりました。 もともとは、兄が3人に、私と双子の姉の正江の5人きょうだいでしたが、正江は、6歳のときに赤痢に罹って亡くなっております。
主人と同じで、代の江戸っ子の家系でした。 主人と私が結婚式を挙げたのは、主人も書いているように、今からちょうど40年前の昭和41年の2月末。
T塚先生の奥さま(私はオバチャンと呼んでいるのですが)母と伯父と双子の姉の正江と。 今となっては、どちらが私でどちらが姉か、わからなくなった。
母に勧められるまま、私自身も何もわからないうちに生涯で一度だけのお見合いをして、そのあとは、あれよという問に結婚式となったことを、今でもよく覚えております。 結婚していちばん驚いたのは、新婚生活を送ることになった練馬の自宅兼商店が、まだ周りに家が立ち並んでいるわけではなく、ただ畑や小さな森や、大きな住宅が多くある静かな所たったこと。
駅から歩けば15分もかかるほどで、ド町のにぎやかな商店街から来た私には、当時の練馬は、まるで山奥にでも来てしまったのかと錯覚するくらいでした。 しかも、ご近所で殺人事件が起きた事があると聞き、誰も知る人のいないところに来たさびしさだけは、今もはっきりと新婚当時の思い出として心に残っております。
そんなある日、こんなことがありました。 私か駅からその15分の道のりを歩いて家に向かっていると、向こうから、主人が車を運転してやってくるのが見えたのです。
あの頃は、まだ自動車もあまりなくて、遠くから走ってくる車でも、誰の車かくらいは容易に見分けられたのでした。 当然、主人は私に気づいて停まってくれると思っていました。
ところが、車はサッとばかりに私のそばを通り抜けるや、そのまま私に声をかけることなく走り去ってしまったのです。 私はほんとうに腹が立つやらあきれるやら………王人は、「ほかの女の子だったら気づいたのだけどな……」などと憎まれ口を叩いていましたが、その頃から、新婚の女房がひとりで歩いているのにも気づかないくらい、主人は仕事のことが一瞬も頭から離れないという人でした。
結婚式。 結婚した当初は、その練馬の家に、主人の母と主人の妹、それに私たち夫婦の4人で同居していました。



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